Aさんへ
今回の沖縄旅行、楽しんでいただけましたでしょうか。長寿を祝っての家族旅行、素敵ですね。貴重な人生、そしてご家族のイベントに、沖縄を選んでいただいたコト、大変嬉しく思います。
ご存知のように、1972年、51年前に「ドルでの暮らし」という“アメリカ世”から「沖縄県」に戻った“オキナワ”です。それでも、「クルマは右側通行」という交通方法だけは、本土と同じになるのに、6年を待つことになりました。
「返還」の3年後の1975年に、大阪からポ~ンと飛び込んだオキナワですが、僕も3年間は「右側通行」を体験しました。7月30日、前日と変わってクルマは左側。行政も県民も、おっかなビッグりの一大イベントでした。
20代と若かった僕は、「返還」後にどんどん変わっていくオキナワを楽しみました。 で、母はといえば、戦前に那覇から大阪に出稼ぎに出てそのまま戦争。敗戦後、オキナワには帰れず、大阪で苦労に苦労を重ねて頑張って、すっかり大阪のオバチャンになっていました。大阪に出稼ぎに来ていた岐阜出身の父と所帯を持って、僕は一人っ子でした。
オキナワに戻る頃には、母と僕の二人でした。母は、故郷でありながらすっかり様変わりしたオキナワに戸惑っていたようでした。それでも、親兄弟との再会を喜んでいたと思います。
僕がまず楽しんだのは、音楽でした。
例えば、仲宗根美樹「川は流れる」(1961年)、南沙織「17才」(1971年)、フィンガー5「恋のダイヤル6700」(1973年)等々、当時のオキナワ出身者の音楽は、本土受けを狙ったモノ。
ところが、オキナワに暮らし始めて聞いたのは、民謡をはじめ、それまでまったく馴染みのない独特の音楽。戸惑いもありましたが、感性を揺さぶられました。
最初にカラオケで歌えるようになったのは、「美(うるわ)しの琉球」。 これは、実は戦前の歌謡曲。「イヨマンテの夜」の伊藤久男が昭和16年に歌いました。 作詞は、佐藤惣之助。高峰三枝子が歌った「湖畔の宿」(昭和15年)は覚えていらっしゃるのではないでしょうか。その作詞家です。
大正期に琉球を旅して、「琉球諸嶋風物詩集」(大正11年)を出版しています。
歌謡曲だったので、オキナワを歌った曲でもすんなりと歌えました。
※「美(うるわ)しの琉球」(歌唱:仲宗根美樹)
https://www.youtube.com/watch?v=suRwFzAKt68
次に気に入ったのは、「バイバイ沖縄」。
民謡歌手の知名定男が歌ったモノで、こちらはフォークソングのような、軽い乗りの曲。
※「バイバイ沖縄」
https://www.youtube.com/watch?v=4y2HekHSfCA
その後は、ビギン、安室奈美恵、スピード、夏川りみ、その他多くの沖縄出身の歌手達が人気者になっていきました。
その間に、僕も、地元だけで歌い継がれる民謡にも興味をもって、自分でも歌うようになったモノが何曲かあります。
たとえば、「時代の流れ」、「艦砲の喰ぇー残くさー(くぇーぬくさー)」、「芭蕉布」、その他たくさんあります。
そうこうする間に、月日は流れて、沖縄暮らしは48年。再来年で、50年となります。
※「時代の流れ」
https://www.youtube.com/watch?v=QvLt39m4Cn4
※「艦砲の喰ぇー残くさー」
https://www.youtube.com/watch?v=uVCGG_7e9w4
※「芭蕉布」(倍賞千恵子さんで)
https://www.youtube.com/watch?v=EndgkNL-I6I
さてさて、南国沖縄も冬場は強めの北風が吹いて、野山を乾いた状態にします。
で、春が来て風が止んで、静かな雨が大地を潤す頃を、オキナワでは「うりずん」と呼びます。ちょうど今頃の季節。
「うるおい初(そ)める」=「うりぞむ」=「うりずん」ということです。
で、演歌に「うりずんの頃」という曲があります。歌唱は坂本冬美さん。
よかったら、聴いてみてください。
※「うりずんの頃」
https://www.youtube.com/watch?v=n5Bui2FDWe4
いつか、オキナワのことをゆっくり聞いていただける機会があることを念願しています。
晴輪雨読
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