ハッパフミフミ♪

「テレビっ子」という言葉を耳にしなくなって久しい。もう、「死語」なんだろうな~。

幼い頃に僕らが体験した、テレビが新しく「家族の一員になる」という出来事は、家庭の団欒の様子に大きな変化をもたらした。
当初テレビは、日中は番組が無く、夕方から番組が始まった。で、夕食時には、家族が揃って食卓について、お母さんの作った夕飯を食べながらテレビを楽しむのが大方の一般家庭の夜の光景となった。本当に平和だった。そんな時代、僕らはみんなすくすくと「テレビっ子」として育った。

僕らは、テレビからいろんな楽しいコトを教えてもらった。その中の一つは音楽。たくさんの歌謡曲を聞かせてくれて、スターと呼ばれる歌手たちの華やかなステージを見せてくれた。さらに、いろんな番組のテーマソングも楽しみだった。もう60年も経った今も、アメリカのテレビドラマ「ルート66」の主題歌は大好きだ。そして、様々な製品が世の中に紹介されて、CMソングもテレビを見る愉しみの一つだった。

中には、番組のテーマソングがCMソングになっているのもあった。「姓は尾呂内、名は楠公〜♪」。つまり、オロナイン軟膏(大塚製薬)なのだが、テレビドラマ「とんま天狗」(1959年)の主題歌だ。「その名はキッド、ナショナルキッド♪」(1960年)というのもあった。

とにかく、どんどん新しい製品が誕生する時代に、テレビCMは多彩な展開を見せた。僕にとって、一番印象的だったのは、「ワンサカ娘」(1961年)だ。

ドライブウエイに春が来りゃ イエイエイエイ イエイイエイ イエ

プールサイドに夏が来りゃ イエイエイエイ イエイイエイ イエ

いいわ レエナウーン レナウンレナウン レナウン娘が

オシャレでシックなレナウン娘が

わんさかわんさか わんさかわんさか

イエーイ イエーイ イエイイエーイ

テニスコートに秋が来りゃ イエイエイエイ イエイイエイ イエ

ロープウエイに冬が来りゃ イエイエイエイ イエイイエイ イエ

いいわ レエナウーン レナウンレナウン レナウン娘が

オシャレでシックなレナウン娘が

わんさかわんさか わんさかわんさか

イエーイ イエーイ イエイイエーイ

当時、世の中ではようやくレジャーに感心が高まった頃で、それを先取りした歌詞がオシャレで曲想も乗りのいいものだった。作ったのは、小林亜星。のちに、サントリー「オールド」、明治製菓「チェルシーの唄」、ブリヂストン「どこまでも行こう」、日立製作所「この木なんの木」などを作っている。

さて、テレビCMはどんどん進化して。テレビもますます面白くなって行った。そしてある時、なんとも奇抜なコマーシャルが登場した。1968年に登場した、万年筆のCMだ。

登場したのは、大橋巨泉。当時、いくつかのテレビ番組で司会者として人気者だった。なんでも、「大学生、高校生から見た司会者ベストテン」でトップだったようだ。で、電通が大橋巨泉に白羽の矢を立てたのは、大学や高校への進学時にプレゼントとして万年筆を買ってもうらう、ということだったようだ。依頼したのは、パイロット萬年筆で、当時業績不振で、800人のリストラの計画が浮上していたという。新製品は「パイロットエリートS」。胴の部分がキャップ部分よりも短い、新しいタイプの万年筆だった。

大橋巨泉は、もらった台本をつまらないと思いつつ、台本通りに演じた。で、その後に、「もう1本、ボクのアドリブでやらせてくれないか」と申し出たという。それは、800人をなんとかしてあげたいという思いだったのだ。で、ほとんどセットというよな仕掛けもないまま、一発撮りのアドリブで作った。
「どちらを採用するかは、そちらに自由に」とスタジオを出たという。そして結果は、大橋巨泉が秘かに予感したとおり、アドリブの方が採用された。

「パイロットエリートS」は、爆発的に売れて、800人の解雇は御破算になったという。

「みじかびのキャプリキとればすぎちょびれ、すぐかきすらのハッパフミフミ」で、最後に「解るね」と笑顔。

なんとも、奇妙で不思議な魅力のCMだった。

のちに、大橋巨泉はパイロット社の感謝パーティーに招待され、社長から感謝状と記念品が贈呈された。そらに壇上に立った組合の委員長からも、感謝の言葉があったのだった。

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