「気ままな絵日記」吉田拓郎

僕が、朝まずすること。
いくつかのルーティーンがあるのだが、その中でも必須なのが、お天気チェック。

晴れなら、自転車での散歩のプランを考える。朝の最大の楽しみだ。でも、お天気がイマイチなら、自転車は、断念!
さらに、シーちゃんにお願いした、お気に入りのGパンの洗濯も明日以降ということで、残念!(ラッパー風に韻をふんでみた)

もう、5年くらいになる、僕の体に一番フィットするGパン。毎日のようにつけている。
着心地のいいGパンがあることの幸せ。ちょっとオーバーかもしれないが、本当に嬉しい。

朝、洗面をおえるとすぐに着替える。何も考えずにこのGパンを着ける。で、特別着替える必要がなければ、終日そのままだ。

さて、自転車の散歩が叶わないときは、本棚から長く眠ったままの本を取り出したりする。先日、何気に取り出したのは、吉田拓郎の「気ままな絵日記」。改めて見てみると、1972年の発刊となっている。49年も前なのか、って今更、今年1月で僕は69歳になった。来年は、いよいよ70歳で、胸を張って「僕は高齢者です」と言えると思う。

「気ままな絵日記」はエッセイ集なので最初から読むのではなく、ぱらぱらとページをながめる。
拓郎が、Gパンにつて語っているページがある。

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フォークシンガーというと、なぜか皆、Gパンをはいている。普段着もGパンだし、ステージで歌う時もGパン。まるで、Gパンが、フォークシンガーのユニフォームであるかのようである。
この統一性、僕は嫌だなあ。フォークシンガー=Gパンという、ベッタリした感じは気持ち悪い。
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なるほど、フォークとGパン。当時を思い出すとそんな感じだった。拓郎の言いたいことは、分かる。

僕が、最初にGパンを履いたのは、おそらく小学校の3年生くらいだっただろう。自分の好みというよりは、母親の判断だったと思う。丈夫で洗濯が容易。もし破れたりしたら、縫って補正。1950から1960年代、どこのお母さんにとっても裁縫は日常だったと思う。

以来60年、僕とGパンのお付き合いは続いている。おそらく、生涯続くだろう。フォークソングに親しんだ頃に、僕の生活にGパンは無くてはならないモノになった。子どもの頃に着せられたGパンは、青春期には、僕の好みのファッションになったのだ。

いろんなメーカーが、独自のデザインのGパンを作った。僕は、履き比べては、それにあわせてシャツを揃えたりしながら青春時代を過ごしてきた。フォークソングもさることながら、やはり気楽な履き心地が良かった。そして、いつしか、Gパンは社会的にも受け入れられるようになり、ごく日常のファッションとして、時代に溶け込んでいった。
以来、僕とGパンとの円満なお付き合いは続いているのだ。

拓郎も、「フォークシンガー=Gパンという、ベッタリした感じは気持ち悪い」と言いいつつも、「Gパンから脱却できないでいる」と言っている。

ちなみに、いつしか“ジーンズ”と言うようになったのだが、僕にはまだまだ、“Gパン”の方がしっくりくる。“昭和人間”なのだな~♪


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